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2006/01/26 / Rocketman3

ポール・オースター 「シティ・オブ・グラス」

<お蔵出し>

主人公であるクインは自分を自分以外のものになぞられる(なぞれえられていく)。小説の作者、、小説の主人公、Pオースター、ヘンリーダーク、ピーター、ピーターの父親…。いったい個人を規定するものはなんなのだろう。我々は自分が自分であるように思っているが、個人は置き換え可能、別に自分でなくてもOKということなのか。

聾唖者への募金代わりにもらったペン→言葉は声ではなく文字として重要ということか?

ピーター・スティルマンが自己の来歴を語る長いセリフは非常に効果的。細かい部分はおかしくないが全体が破綻している。「リング」に出てくる呪いのビデオのような怖さがある。

4-5ページ:ニューヨークは非在の場所。自己存在の否定。
13ページ:電話よりメール。なんだか自分みたい。バベルの塔のくだり。重要なんだろうけど意味がわからない。
106ページ:バベルの塔が立ち上がってくるところは圧巻。
Pオースターとのドンキホーテ論議はなにを意味しているのだろうか?(本を読みながら気になるところをピックアップしてたがここで力尽きてしまった)

とにかく非常におもしろかった。『鍵のかかった部屋』を読んだときは「不条理小説」的な印象が強く心底楽しめたかというとちょっと疑問のような気もするが、これは読了後もう一度読み返してしまったぐらい楽しめた。

「個人」と思われているものが「都市」の中でいかに崩壊して溶けていくかというところがとてもおもしろい。「都市」の中では誰もが置き換え可能な存在ということか。  20030302

 

 

(→ コメント@旧ブログへ)

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