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2006/01/26 / Rocketman3

楳図かずお 「漂流教室」

<お蔵出し>

これはすごい! はっきり言って『ドラゴンヘッド』なんかメじゃないです。なにより主人公である翔の母親の行動が常軌を逸しているというかなんというか、もうぶっ飛びまくり。

でも最初に出てきた給食費泥棒の伏線が最後にきちんと活かされていたし、ストーリーとしてはうまくまとまっているし、最後にアメリカから電話がかかってくるというのはちょっといきなりな感じもしなくもないけど、これもビンに詰めた手紙の伏線どおり。

途中途中の細かいエピソードは週刊連載のための盛り上げに必要だったのだろうからあまりどうこうというのはないですが、やはり子供同士が殺し合いに発展するあたりは『蝿の王』が描かずに止まったところを突き進んだんだな。最近でいうと『バトルロワイヤル』だけど、こっちのほうが設定に必然性があるだろうと思います(『バトル~』読んでないんですけど)。

卒論の最後で大林宣彦監督の映画版のラストシーンを採りあげたんだけど、原作のほうを読んでいたらもっと全然違った採りあげ方になっていただろうなあ。

映画のほうは翔たちの未来を見つめる晴れ晴れとした表情がラストにあったが、原作のほうでは実際の表情は地面に伏せているところが最後で、母親が夜空に見る翔は現実ではないんだよな。

それにしてもフジテレビもこれをよくドラマ化しようと思ったな。といっても設定だけ同じで中身は全然違ったんだろうけど…(これも未見なのでよくわかりませんが)。

なによりもこのストーリー展開で最後に子供達が元の世界に戻れるのではなく、むしろ新しい世界で積極的に生きていこうと決断するというのがこの作者のすごいところ。

やっぱりこの人の「子供を子供として見る視点」ってただものではない。

例えば『ドラえもん』は<未来から来たネコ型ロボットが便利な道具を次から次へと出す>というストーリーを活かすために主人公は小学生という設定がされているんだけど、この作品の場合は<主人公が小学生でなければ物語世界そのものが成り立たない>というところから出発している。

この<必然としての子供>という設定はもうひとつの代表作である『私は慎吾』でも同様であり、この作者の特徴のひとつだろう。ああ、このあたりって大学の頃だったらもっと突き詰めて考えたテーマなんだけど、今はそんな余裕もなく…(しくしく)。

そういった意味ではやっぱりフジテレビのドラマは主人公たちを中学生だか高校生にしたというところからして、もはやこの作品が持つ本来の意味とは別のものになってしまっていると思う(別にそれが悪いというわけではないけど)。ま、そもそも”Long Love Letter”という副題が付くぐらいだからな。

作品の冒頭からいきなり

「おかあさん… ぼくの一生のうちで、二度と忘れることのできないあの信じられない一瞬を思う時、どうしても、それまでのちょっとしたできごとの数々が強い意味をもって浮かびあがってくるのです。」

というモノローグ?で始まるというのも印象的だけど、たぶんこれは翔がユウちゃんに託したノートの一番初めに書いてあったんだろうな。

なんにしてもまだ読んでいない方は、行ったことがないマンガ喫茶に行ってでも読むことをお勧めします。 20021112

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